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自然に還る移住生活を目指して

避難所にて

昨日の続き

(2015年9月11日の東日本豪雨)

 

まあなんとか辿り着いたはいいけれど、避難所で、酷い状況に立たされた。

 

体育館で、瞬く間に場所取りがあり、カップルに囲まれました。

全く干渉しないタイプとめっちゃ意地悪な女性。どっちも嫌な感じで怖かった。1人の女性に声かけたら、「私の旦那は後から来ますから💢」と投げ捨てるようにフンっと横を向かれた。いやいやそんな態度取る必要がどこにある?と大きな疑問もあったけれど

 

一緒にしないで!との事なんだろか?

 

こういう震災の時の孤独は身に沁みる。雷⚡️の光も見える。不安と眠れないのと涙がぽろぽろでは無くて一本の流れになって止まらなかった。

 

東日本大震災の日は地下鉄が止まり家に帰れず二世帯住宅の同僚のお宅に泊まり、ラジオで兄の会社の周辺一帯が火事で屋上に取り残される人達が沢山いると言う事を知り(兄は無事でしたが)、眠れず、携帯の充電も後わずかでの不安。翌日海に近い実家へと行くまでの道のりもキツく。

母と会えた後も余震と津波の避難警報に脅えた一週間。それから4年も経っているのに、何故私はいまだに1人なんだろう?と

 

震災後、恋人がいた時期もある。明けない夜を経験し、家族にはなれなかった。

 

いろんな思いが頭を交差する。

 

朝になって、避難所全体を見渡したら、女性だけのスペースを作っている人達も見えた。私がきた時はまだ居ない人達だった。

 

「朝ごはん用意してますよ」声をかけられた。私にだけ優しく、言われる。私の周りのカップル達は相変わらず他者を寄せ付けず目に入れない様にしてる?態度。まあみんな疲れてるだろうけど、

普通に会話が出来るから?私に話しかける?外を見に行ったり、トイレに行ったりする間、避難所のボランティア?の方達に優しく話しかけられる。

「ご飯あるよ🤗食べた?」

 

「ご飯食べなさい」

 

「ご飯用意してるから、食べてって!!」

 

どんだけみんなに気つかわれてるんw

 

食堂には、カップル居なかった。

今の内だ!とゆっくり食べた。そこにいる人達は優しかった。

 

温かな気持ちになれて、避難所を後にした。

外はすっかり晴れていた。広瀬川も結果氾濫せず大きな被害はありませんでした。避難しなくても良かったのかもと思いながらも、あのまま部屋で1人でいる時間を考えたら、避難してもしなくても間違いではなかったのだと思いながら。

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(写真は広瀬川。豪雨から1年後位の夕)

 

 

あの日の夜のことは忘れない。

変えることができるのは自分だけ‼︎