Destination key

自然に還る移住生活を目指して

和歌山から東京へ(続き)

f:id:kaho1one:20201029134047j:plain

redoctober

2018年の12月の記事以来、更新止まっていましたね。

パソコンが調子悪くなり、iPadiPhoneで投稿しようと思ってたけど

なんか止まってましたね。

 

さて、その時の記事が途中までだったので、

2018年の出来事の続きをいまさらながらですが書かせていただきますね。

 

友達の葬儀は遠方ということもあり

母は、「仕事休んでまで行かないよね。(行くな。)」と

電話で言われたので、内緒で行ってきました。

 

友達のお葬式に仕事を休んでまで行くというのは、

賛否分かれるところかと思います。

親戚でも血縁者までが許されるような、ほとんどの人は

遅れてごめんなさいのように、仕事が終わった夜にかけつけていると思う。

遠方の場合はまたそうもいかない。

仕事を放り出しても駆けつけるのを許されるとしたら

自分の親兄弟、友達なら、若すぎた突然死に限られるかも。

 

関係性だと思うよ。もうそういうのこうであるべきというのは

やめてほしい。

 

その友達はアメリカに住んでた頃の大親友で、帰国後も

仙台に遊びに来てくれたり、彼女の家にも遊びに行ったのね。

表裏なく本音だけで話せた友達なので

大切なのね。後で、何と言われようがいいんだ。

 

とはいえ、私の仕事はシフト制なのであまり迷惑はかけられないけれど

ギリギリ、会社に申告することなくもともとの休みの日を使って

東京行って帰ってくる日程が組むことが出来た。

あとあと、現地ついてからほんとに思ったのが、不思議なほど

友達を見送るには一番的確な日程だったと思う。

 

喪服は実家にあるので、実家から送ってもらう時間も無く、

スーツ買うほどの余裕時間も無く、喪服ってホントは着たくないので

ネイビーブラックのワンピを買おうと思ったんだけど

友達の近所の方々、親戚の方々のことを思って

黒いブラウスと黒いスカートで当日なんとか用意しました。

 

お通夜も告別式にも出られないけれど

この日なら、というのが納棺の日だったのです。

納棺の日ってどうなん?と思うけれど、結局は

彼女の前で手を合わせてご挨拶したいというのが本来の目的なので

通夜、葬式当日である必要は無いのです。

結局、この日が一番友達のそばに居れた日だと思いました。

 

平日のなんでもない昼間に都心の中心地から

住宅地に向かうバスに乗ってるのは、ほぼ、ご年配の方ばかりでした。

その中に住宅地の合間を行くバスに、私と同じくらい?もう少し若い?と思われる

女性がいました。それも、降りたバス停が一緒。

その彼女を見てるうちに、もしかして!とSNSで友達を通して友達になったSちゃん?っかも

お互いに顔を見合わせて、もしかしてと声をかけあいました。

Sちゃんと私は涙目で話し合いながら彼女のいるお寺まで一緒に歩いていきました。

 

納骨の時間を待つ人たちは、ご家族、親戚、近所の人、10人も居なくて、

遠慮なく横になっている彼女のそばに行けました。

何も変わらずにきれいでした。

死に化粧をするお手伝いです。

手先指先もすごくきれいで、手に取ると涙はボロボロ落ちてしまうけど

この服を着せてと自分で準備した服を着てとても綺麗だった。

 

優しく彼女思いの旦那様。二人の子供たちを遺すことを思うとあまりにも若く早過ぎるとも思うけれど、何不自由なく暮らしていて、やりたいこと、行きたいところへは全部思うがままに行っていたし、まるで、自分の寿命を知っていたかのように。

彼女は幸せのまま逝ってしまったと思えばいいのだけれど、涙はぼろぼろ落ちてくる。

 

彼女の生前の話を聞き、子供たちの話を聞き、子供たちへの手紙を見て

ゆっくりお話が出来たこと、お見送りも出来たことを考えると、私にとってそして同じ日に全く同じ時間のバスで来たSちゃんのことも思うと一番適切な時にお見送りにこれたのだと思う。とても不思議なものを感じました。

 

彼女のことは今でも時折思い出す。

木村カエラちゃんの「バタフライ」という歌が流行った年(前後するかもだけど)に彼女が結婚したので、バタフライは彼女のために歌いたいなあと思った。記憶がある。

歌詞も親近感を覚えるものだからより一層。

 

人生半ばを過ぎると、誰にでもありえる別れ、

これからもっとそういう話を聞くだろう。

 

お墓の場所を案内された後に

Sちゃんは、日帰りで帰るのでフライト時間があるからと

駅までは一緒だったけれど

「せっかくだからおいしいもの食べて帰って!」

と言いながら、慌てて帰って行った。

 

久々に東京を歩きながら、3,4年ぶり?

f:id:kaho1one:20201029144910j:plain

ginza201812

食欲がなくて、適当なお蕎麦屋さんでささっと食べた。

 

彼女はとても元気な子だったので、持病とかも無いし

その年の3月には白血病も克服し、感染症にだけ気を付けてるので

安静にと入院していて暇だから遊びに来てと電話で話したのが最後だった。

まさか少しずつ平穏な毎日が戻るだろうと信じて疑わなかったから、

遊びに行けばよかったと後悔、ごめんね、

 

それから2年

 

コロナ渦の中、自宅待機を余儀なくされた頃に

ネット釘付けで知らされたこの世界のいろいろな闇の部分を知り

色々考えさせられるよ。

 

この辺で東京編は終わりにしたいと思います。