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自然に還る移住生活を目指して

列車の旅のはじまり

通勤電車

同じ電車、同じ方向、同じ駅で週5も利用してると、

同じ顔合わせになる。

毎日、何年も乗ってると、だいたい、春が混んでいて、

どんどん人が減ってくる。GWの後、夏休みの後、

秋の始まり、冬の終わり、そしてまた春に増える。

 

仕事は残業が多く、実家から通えない距離ではなかったけれど

残業の都度、市内の友達に泊めてもらったりしんどくて

1人暮らしを始めてから、長く続いた電車通勤は終わり、自転車で通勤になった。

雨の日はバス。たまに地下鉄に乗ると、中心地内の電車は混み過ぎてて乗れないのに

すみませんすみませんとムギュウって入らせてもらう。

数分我慢するだけ、なんだけど、

 

仙台は震災後、一気に人口が増えた。

駅ビルが新しくなってから、今までになく、トイレに入るにも

混んでるので、行列並んでることが必ずになった。

そんな毎日が続くの?って疑問に思った。

 

私はもう、20代前半でブランド服にこだわることなどは卒業してる。一時生活雑貨に凝ったけど、いつも身軽でいたいから、家具家電インテリアも最低限の必要であればいい。海外に居た時に、普段着、一張羅、数着ずつで十分だったから、

 

仕事も正社員で募集していい条件見つけると

いつの間にか、消えていて、そのクライアントと

思われる求人が派遣会社の名前で募集になっていたり

良い条件の求人は派遣会社を通さざるを得ない状況になってるのだと

気づいた。

 

派遣会社も競合ばかりで、年齢的にしんどい条件ばかりになってきた。

派遣の制度はいつか変えなければ。電車の話からちょっとずれてしまったな…

 

仕事で神戸に行った時に今までとは違う風景が、新鮮だった。この世界は広いのだとつくづく感じた。震災から通常の生活に立ち戻るのに必死だった私達。

久々の空港の雰囲気も、可愛くて上品な阪急列車も私の心をワクワクさせた。

 

毎日毎日同じ繰り返しだけの通勤電車はもういらんって思うけど、

旅で訪れる各地域の個性的な列車がすごく楽しかった。まあもともと、乗り物好きではありました。ジェットコースター的な乗り物大好きだし、高いところ大好き、航空機も船も電車も乗り物好き。ワクワクする。海外での暮らしを経て、待ち時間のつぶし方も知ってるし、今までに見たことのない風景が広がるのは本当に楽しい。こどもみたいだ。(おばはんですが)

たまにしか乗らない大阪の通勤列車の時間帯も短時間だと思えば苦にならない。乗換を考えてるので、あまり気にならないというのもあります。

不思議に思うのは、そのたまに乗る通勤時間帯の列車の人々、モノクロームなの、私一人だけカラーなの。みな無機質な白のグラデ、黒のグラデ内の色なの、あらま浮いてる自分って思いながら、以前は私もモノクロームの一部だったんだって思う。

 

そうだ…私は飛び出したんだから、

 

この世界は広いのだ。広いのですよ。

広げていくのは自分自身。どの地域が良い悪いではなくてね。

 

もちろん、生まれた地を離れるのが怖い、旅行でいろいろ行くけれど、出来るだけ早く地元に帰りたいと思うと言う友達や知り合いもよく聞きます。

いつもと違うが怖いという人もいます。

価値観も違うし、縁、役割りがあって、人それぞれ自分に心地の良い選択をしていけばいいと思うので、正解は自分にしかわからないことなのだと思います。

 

生まれ育った地を飛び出してから、

だいぶ冒険の旅に出たよ。

都度、ブログにでも残せばいいのに。

文章が苦手なんじゃなくて

長く止まらなくなってしまうから

 

少しずつ切り取って貼り付けて行こう。

車欲しい

和歌山に来て思うのは、

まずは、車。

市内中心地の人達もみな車で通勤です。

駐車場代出なくても普通に車で通勤です。

一人一台持ってるのが普通なので、みな持ってます。

待ち合わせも車の停められるコンビニやスーパーなどの大型店の駐車場。

行き先も駐車場必須なので、それで行く場所決まります。

 

私は乗せてもらう側なので、たまに気づかされるのが

必要で乗ってるだけ、車の運転が嫌いと言う人も中にはいます。

そのタイプの方々は同乗を嫌います。心配性なんだと思います。

 

車無い人もいる。

地元で車持ってない自転車派も意外といますね。

こっち来て4年くらいの私でさえ、

車無いことで散々な言われようにうんざりしてるので

車持たない方達もおそらくずっと言われ続けているだろうから、

 

その話題を自然と避けるのが上手になったか、

言われ慣れてスルースキルが成立されてるかもです。

 

県外から来た友達は親に頼らず、

大学の費用も全部自分で頑張ってる子がいて

家賃や生活費でいっぱいいっぱいなので車が無く、

徒歩圏内の職場に行くのも車では無いそうですが、

いじめのように嫌な先輩に毎度自転車通いを

バカにされいるそうです。私ならブチ切れる(笑)

 

人によるので、特になんも言わずに車に乗せてくれる子も多いのですが

たまに遭遇する、しつこく車無いの?と催促、何度も同じ言葉を繰り返す

急かす人にあたると私でもうんざりします。

 

聞きたい、言いたい、その車自腹してませんよねって。

直接聞くと、新車持ってる子はほぼほぼ親が旦那が買ってくれたと言う。

または実家住まいなので、貯金出来る人は

車も難しくなく用意できますよね。

 

自分の境遇にうんざりしちゃうけれど、

(頑張って頑張って身体壊し闘病生活の過去があるので、古い考え方の自己責任論は押し付けないでって心の中でいつも悲しくなります)

 

そんな中、1人で頑張って中古車買ったという友達も何人かいるので、

私も頑張ろうと思えます。

人に言われてとか、

それよりも流石に行きたいところいっぱいあって自分でさっさと行きたいので、年齢も年齢なのですが

イカー ゲット頑張りたいと思ってます。

 

 

昨今の世の中、和歌山でも今の若い人は車どころか免許も持ってない人

多いそうです。仕事探してる時に言われました。

 

大阪市内に在住の人はもちろん車の駐車場代などで、維持費がかかるので

大阪市内に引っ越しすることが決まったらに車を手放すという話をよく聞きます。

一人一台じゃなくて一家に一台あればいいとかも。

 

まあ大都会に住むなら車無くてもなんとかなりますよね。

 

あ!京都は市内だけとは思いますが、自転車に乗って通勤の方がステイタス的みたいですね。私も鴨川とか自転車で通勤してみたい。

京都に住む予定はありませんが

 

車欲しいのは、行きたいとこに行きたい。

乗り物大好きだから、列車の旅とかも大好きなんだけど

車でしか行けないとこも多くて、プラス、おひとりさま💓でいいんです。

気が楽で楽で😁✨ 荷物も置けるから楽ちん🎵

 

パートナーは欲しいですけどね。

旅先で、静かに一緒に仲睦まじく歩く老夫婦の方たまに見かける度

いいなあ、理想だなあって思います。

 

いつかは、じゃなくて、直ぐにでも私もって思いますけど

1人で行けない、お店とかにも入れない!なんて

言ってる時間がもったいないって思うので

取り合えず今は自分1人で行けるとこまで行くのだ!!

(ノ*>□<)ノ{ガンバレ~~〕自分

和歌山から東京へ(続き)

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redoctober

2018年の12月の記事以来、更新止まっていましたね。

パソコンが調子悪くなり、iPadiPhoneで投稿しようと思ってたけど

なんか止まってましたね。

 

さて、その時の記事が途中までだったので、

2018年の出来事の続きをいまさらながらですが書かせていただきますね。

 

友達の葬儀は遠方ということもあり

母は、「仕事休んでまで行かないよね。(行くな。)」と

電話で言われたので、内緒で行ってきました。

 

友達のお葬式に仕事を休んでまで行くというのは、

賛否分かれるところかと思います。

親戚でも血縁者までが許されるような、ほとんどの人は

遅れてごめんなさいのように、仕事が終わった夜にかけつけていると思う。

遠方の場合はまたそうもいかない。

仕事を放り出しても駆けつけるのを許されるとしたら

自分の親兄弟、友達なら、若すぎた突然死に限られるかも。

 

関係性だと思うよ。もうそういうのこうであるべきというのは

やめてほしい。

 

その友達はアメリカに住んでた頃の大親友で、帰国後も

仙台に遊びに来てくれたり、彼女の家にも遊びに行ったのね。

表裏なく本音だけで話せた友達なので

大切なのね。後で、何と言われようがいいんだ。

 

とはいえ、私の仕事はシフト制なのであまり迷惑はかけられないけれど

ギリギリ、会社に申告することなくもともとの休みの日を使って

東京行って帰ってくる日程が組むことが出来た。

あとあと、現地ついてからほんとに思ったのが、不思議なほど

友達を見送るには一番的確な日程だったと思う。

 

喪服は実家にあるので、実家から送ってもらう時間も無く、

スーツ買うほどの余裕時間も無く、喪服ってホントは着たくないので

ネイビーブラックのワンピを買おうと思ったんだけど

友達の近所の方々、親戚の方々のことを思って

黒いブラウスと黒いスカートで当日なんとか用意しました。

 

お通夜も告別式にも出られないけれど

この日なら、というのが納棺の日だったのです。

納棺の日ってどうなん?と思うけれど、結局は

彼女の前で手を合わせてご挨拶したいというのが本来の目的なので

通夜、葬式当日である必要は無いのです。

結局、この日が一番友達のそばに居れた日だと思いました。

 

平日のなんでもない昼間に都心の中心地から

住宅地に向かうバスに乗ってるのは、ほぼ、ご年配の方ばかりでした。

その中に住宅地の合間を行くバスに、私と同じくらい?もう少し若い?と思われる

女性がいました。それも、降りたバス停が一緒。

その彼女を見てるうちに、もしかして!とSNSで友達を通して友達になったSちゃん?っかも

お互いに顔を見合わせて、もしかしてと声をかけあいました。

Sちゃんと私は涙目で話し合いながら彼女のいるお寺まで一緒に歩いていきました。

 

納骨の時間を待つ人たちは、ご家族、親戚、近所の人、10人も居なくて、

遠慮なく横になっている彼女のそばに行けました。

何も変わらずにきれいでした。

死に化粧をするお手伝いです。

手先指先もすごくきれいで、手に取ると涙はボロボロ落ちてしまうけど

この服を着せてと自分で準備した服を着てとても綺麗だった。

 

優しく彼女思いの旦那様。二人の子供たちを遺すことを思うとあまりにも若く早過ぎるとも思うけれど、何不自由なく暮らしていて、やりたいこと、行きたいところへは全部思うがままに行っていたし、まるで、自分の寿命を知っていたかのように。

彼女は幸せのまま逝ってしまったと思えばいいのだけれど、涙はぼろぼろ落ちてくる。

 

彼女の生前の話を聞き、子供たちの話を聞き、子供たちへの手紙を見て

ゆっくりお話が出来たこと、お見送りも出来たことを考えると、私にとってそして同じ日に全く同じ時間のバスで来たSちゃんのことも思うと一番適切な時にお見送りにこれたのだと思う。とても不思議なものを感じました。

 

彼女のことは今でも時折思い出す。

木村カエラちゃんの「バタフライ」という歌が流行った年(前後するかもだけど)に彼女が結婚したので、バタフライは彼女のために歌いたいなあと思った。記憶がある。

歌詞も親近感を覚えるものだからより一層。

 

人生半ばを過ぎると、誰にでもありえる別れ、

これからもっとそういう話を聞くだろう。

 

お墓の場所を案内された後に

Sちゃんは、日帰りで帰るのでフライト時間があるからと

駅までは一緒だったけれど

「せっかくだからおいしいもの食べて帰って!」

と言いながら、慌てて帰って行った。

 

久々に東京を歩きながら、3,4年ぶり?

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ginza201812

食欲がなくて、適当なお蕎麦屋さんでささっと食べた。

 

彼女はとても元気な子だったので、持病とかも無いし

その年の3月には白血病も克服し、感染症にだけ気を付けてるので

安静にと入院していて暇だから遊びに来てと電話で話したのが最後だった。

まさか少しずつ平穏な毎日が戻るだろうと信じて疑わなかったから、

遊びに行けばよかったと後悔、ごめんね、

 

それから2年

 

コロナ渦の中、自宅待機を余儀なくされた頃に

ネット釘付けで知らされたこの世界のいろいろな闇の部分を知り

色々考えさせられるよ。

 

この辺で東京編は終わりにしたいと思います。