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自然に還る移住生活を目指して

海風で吹き飛ばす

20代の頃は夏に何度か海へと行って遊んだ。

水着も何着か持ってた。通っていた英会話スクールのイベントでBBQをしたのも楽しかったなあ。

 

30代になると、同世代の友達は結婚して家族と行くとか、独身の友達は日焼けがイヤだ、海水浴で水着着るなんて随分自分のスタイルに自信があるんだね〜など言われたり、水着に着替えるのがめんどくさいとか言われて、その頃は1人で行こうなんて考えたこともなく、(ヤンキーにナンパされたら危険とかそういうのもあった)全く行かないでも無いけれど、数年に一度くらい?どんどん海から足が遠のいて行った。

 

年を重ねるともっと行かなくなってしまう。

さらに東日本大震災以来、

レジャーではなかなか行かなくなってしまった。それは、私だけではないだろう。

 

和歌山来てから友達になった人達はみな海に気軽に行く。和歌山市内にもきれいな海岸線のある海は幾つかある。年齢関係なく、そして、みんなに連れてって貰う内に、行きたい時に、1人で海によく行くようになった。必ずしも泳ぐためではないです。

 

オフシーズンは人が少ないので、誰に遠慮するでなく自由に出来ます。広い海岸線で砂浜の上で、大の字になって寝たり、ぼーっと座ってただただ海を見てるだけとか日が暮れるまで、夕焼けを見ていたのも一度や二度ではない。

それだけで、癒されてると思う。心が軽くなる。頭のモヤモヤが消えて行くような。

 

 

海の音、砂の音というのは、雑音のようで、ホワイトノイズだから、

※ホワイトノイズとは、自然の音などで、集中力、睡眠効果などがあると言われております。

 

🔻ネットで調べてわかりやすかった記事🔻

guitar-song-day.net

 

logmi.jp

 

youtu.be

 

あ、今ちょっと引用作業で聞いてみただけでも鼻詰まりが楽になった(笑)

 

海風にもあたり、砂浜は温かく包んでくれるような

心地良い空間で、予定よりも長居してしまったりします。

 

海風にあたっているといろんな気持ちを吹き飛ばしてくれるのでスッキリします。

そのままずっと此処で寝てていいかなと思うところをなんとか頑張って、重い腰を上げて、現実に帰ります。海の水に足をつけるだけでも、いろんなものを流してくれるような気がして、帰り道は軽い足取りになります。

 

暑い日は、砂浜に仰向けになって大の字になって、暑さを味わいます。

普段冷え症なので、暑さが温熱療法になり、心地よいです。勿論、灼熱の熱中症が心配なシーズンではなく、オフシーズンに出来ることなんですけどね。

 

防波堤の先に行き、釣り人達と並んで、座り込んで海を眺め、海風にあたりながら過ごす時間も大好きです。幸せな時間だとも余計なことは何も思わない。ただひたすら海を眺めているのは、贅沢ですよね。子供の頃に日曜日に父に南三陸の海に連れて行ってもらったことを思い出すことくらいでしょうか。

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【重要:良い時間を過ごすために】絶対に忘れてはいけないのは、必ず、周りを見渡して、怪しげな人(体格の良いおじいちゃんからおじいちゃん手前くらいの年代の人、中には良い人もいるとは思います。皆が皆ではありませんが、比較的、暴虐武人に見える動き?)よくうろついています。また男性だけの2人以上のグループ(どちらも海に限らずですけどね)とか居ないのを事前確認します。また携帯もいつでも使えるように手に握りしめています。私は防犯サイレン付きアプリをダウンロードしています。ライト付きでもあるので、普段はライトに使っているので、直ぐに開けるように馴染ませています。また、私は最近、100均で、キーホルダーになったライト付き防犯ブザー買ってバッグに付けています。元彼に貰った防犯ブザーもまだ持ってるんですけどね。いつでも走って逃げられるように軽装で行くことも必須です。

 

 

何処に居ようと

2018年9月4日に関西を直撃した台風21号
tenki.jp

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(写真は、台風が過ぎ去った後、数日経ってもまだ、爪痕は残る。大阪に比べたら、被害は少ない。倒れるものが少ない?)

 

 2018年6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に、全国的に広い範囲で記録的な大雨(台風7号

www.data.jma.go.jp

 

 

2018年9月6日、そして北海道沖の地震

www.jma.go.jp

 

続く自然の脅威。

 

仙台の友達から、台風21号の件で、LINEが幾つか入ってきた。今年は西日本の災害が続くね。気をつけてねと。でもその後に北海道地震のニュースが入ってきたので、日本全国どこに居ても変わらないと感じさせられた。

東日本大震災のような千年に一度の未曾有の大地震津波は今後しばらく起こらないだろうから仙台が良いのかと思うこともあったけれど、その時の自分自身が居たい場所に居るのだから、何処でも良いのだとも思う。

 

確かにね、和歌山では南海トラフの事も皆に言われるし、雨が多いという事前情報も知っているし、こっち来てから雨が多いと思うよ。雨が降るとJR西日本は運転見合わせになり、バスのみになる。

大雨などでバスさえも通行止めが多いとままならない。

困る?不便だ?いやいや、それならそれで、たとえ仕事だとしても自宅で待機、必要があれば避難所へ。不必要な外出を控える。台風が過ぎ去るのを待つだけ。

去年いた会社では、台風酷くなるまで仕事をさせられ、酷くなったから、早く家に帰るようにと、1番ひどい強風と大雨の中、帰れと追い出されたことがあって、酷いなあと思った。仙台ならもう、そういう時は自宅待機か、早めに帰されていたのになと。でも去年からここ最近の全国的な被害状況から、今いる会社では、早目に帰れ指示や予報の当日は休日となり、前日軽く数日分の食料や水を買い、静かにおうちで過せています。

まあ、台風の暴風雨には怖い思いもし、半日停電で蝋燭で過ごしたりと、また久々に被災生活味わいましたが、

それでも、移住して来て良かったと思っている。

 

避難所にて

昨日の続き

(2015年9月11日の東日本豪雨)

 

まあなんとか辿り着いたはいいけれど、避難所で、酷い状況に立たされた。

 

体育館で、瞬く間に場所取りがあり、カップルに囲まれました。

全く干渉しないタイプとめっちゃ意地悪な女性。どっちも嫌な感じで怖かった。1人の女性に声かけたら、「私の旦那は後から来ますから💢」と投げ捨てるようにフンっと横を向かれた。いやいやそんな態度取る必要がどこにある?と大きな疑問もあったけれど

 

一緒にしないで!との事なんだろか?

 

こういう震災の時の孤独は身に沁みる。雷⚡️の光も見える。不安と眠れないのと涙がぽろぽろでは無くて一本の流れになって止まらなかった。

 

東日本大震災の日は地下鉄が止まり家に帰れず二世帯住宅の同僚のお宅に泊まり、ラジオで兄の会社の周辺一帯が火事で屋上に取り残される人達が沢山いると言う事を知り(兄は無事でしたが)、眠れず、携帯の充電も後わずかでの不安。翌日海に近い実家へと行くまでの道のりもキツく。

母と会えた後も余震と津波の避難警報に脅えた一週間。それから4年も経っているのに、何故私はいまだに1人なんだろう?と

 

震災後、恋人がいた時期もある。明けない夜を経験し、家族にはなれなかった。

 

いろんな思いが頭を交差する。

 

朝になって、避難所全体を見渡したら、女性だけのスペースを作っている人達も見えた。私がきた時はまだ居ない人達だった。

 

「朝ごはん用意してますよ」声をかけられた。私にだけ優しく、言われる。私の周りのカップル達は相変わらず他者を寄せ付けず目に入れない様にしてる?態度。まあみんな疲れてるだろうけど、

普通に会話が出来るから?私に話しかける?外を見に行ったり、トイレに行ったりする間、避難所のボランティア?の方達に優しく話しかけられる。

「ご飯あるよ🤗食べた?」

 

「ご飯食べなさい」

 

「ご飯用意してるから、食べてって!!」

 

どんだけみんなに気つかわれてるんw

 

食堂には、カップル居なかった。

今の内だ!とゆっくり食べた。そこにいる人達は優しかった。

 

温かな気持ちになれて、避難所を後にした。

外はすっかり晴れていた。広瀬川も結果氾濫せず大きな被害はありませんでした。避難しなくても良かったのかもと思いながらも、あのまま部屋で1人でいる時間を考えたら、避難してもしなくても間違いではなかったのだと思いながら。

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(写真は広瀬川。豪雨から1年後位の夕)

 

 

あの日の夜のことは忘れない。

変えることができるのは自分だけ‼︎